薩摩焼の発祥と伝統を訪ねて

薩摩焼の歴史は400年以上の伝統があります。

私の住む鹿児島県では薩摩焼の窯元がアチラコチラに存在し、一体、薩摩焼とはどのような焼き物・陶器なのだろう?どのような点が伊万里焼、有田焼、備前焼など有名な焼き物と違うのだろう?と思ったのが当サイトを開設するに至った理由です。

コチラでは世界で愛され、今もなお鹿児島県で多くの窯元が伝統を守っている薩摩焼の歴史を自分なりにまとめてみたいと思います。鹿児島県のいたるところで薩摩焼は独自の発展を遂げ、幕末の薩摩藩が海外との友好を広めていくなかで、パリ万博において欧米で流行したジャポニズム(日本趣味)に影響を与えることになったのです。

コチラでは薩摩焼の発祥と発展の歴史をご紹介します!

薩摩焼の歴史
1592〜98年 豊臣秀吉の命により島津義弘(島津氏17代)慶長の役(1592〜98)に参加。1598年朝鮮陶工80数名を連れ帰る。この朝鮮陶工が薩摩焼の発祥の祖となる。
1599年(慶長4年) 慶長4年(1599年)、串木野の島平の上陸した朝鮮陶工達は朴平意(1559〜1624)を中心に東方丘陵地に串木野窯(朝鮮式蛇窯)を築く。薩摩焼最初の窯で今の苗代川系。以降、薩摩の各地で窯元が相次いで築かれる。
1667年(寛文7年) 山元碗右エ門が加治木に山元窯を開く。
1688年(元禄元年) 碗右エ門が高崎松尾坂に白石を発見し、加治木に 龍門司窯を開く。(この頃は龍門司焼といわれず高崎焼と呼ばれていたという話もあります。)
1855年(安政2年) 島津斉彬、磯窯を開く。(今の鹿児島市内磯地域)
1867年(慶応3年) 薩摩焼(日本を代表して)としてパリ万国博覧会に初出展され、欧米で流行したジャポニズム(日本趣味)に影響を与える。
2002年(平成14年) 国の伝統的工芸品に指定。

現在では竪野系、苗代川系、龍門司系のみ現存しているとされています。 基本的に薩摩焼という原点は一緒ですが、釉薬の調合や焼き方、焼いた後の模様や触りここち、利用している粘土などが違い、それぞれの特徴がでています。

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